上州名物焼きまんじゅう 忠治茶屋

広告

忠治茶屋

他県ではご存じない人が多いかもしれませんが、群馬県民のソールフードは「焼きまんじゅう」なのであります。一般的なふんわりした白いまんじゅうを鉄板で焼いてちょっとコゲ目をつけて、味噌・みりん・砂糖がベースの甘いタレをたっぷりとつけて食べるのです。焼きまんじゅう屋は群馬県にいくつもありますが、我が家では忠治茶屋をひいきにしております。忠治茶屋公式HPはこちら

公式HPからは全国への通信販売もしているみたいですね。「焼く前のまんじゅう」と「秘伝のタレ」が届きますので、他県の方で気になる方は公式HPに調理方法も紹介されてますのでどーぞ。

忠治茶屋の由来

忠治茶屋本舗の建物は、国定忠治が御用になった西野目宇右衛門宅解体の際、 忠治茶屋店主が譲り受け、その資材を使い建築したものです。

国定忠治は、上州から信州へ渡る唯一の街道筋の大戸宿(群馬県吾妻郡)関所を二度にわたり破っている。最初は、天保5年、忠治25歳の時、島村ノ伊三郎を斬った足で信州中野の貸元へ身を寄せる逃避行のため。二度目は、27歳の時、忠治が恩義を受けた信州の兄弟分が殺された仕返しに行くため、槍、鉄砲などの武器を持参して、白昼堂々、20人もの子分衆を従えての関所破りだった。当時、関所破りは、100年に一度あるかないかの重罪だったことから、忠治は27歳にして、天下の大罪人になってしまったわけです。

西野目宇右衛門は、上州田部井村(現在の群馬県伊勢崎市田部井町)の庄屋で、村民からの人望も厚い人だった。長岡忠次郎(国定忠治)の盟友でもあったことから、病気で役人の目から逃れようとする忠治を自邸の離れでかくまった。広大な屋敷は竹やぶで覆われ、隠れ家としては、最適だったようだ。

しばらくの間、妾のお町と忠治の平穏な日々が続いたが、嘉永3年(1850年)8月24日未明、ついに国定忠治は宇右衛門屋敷の納屋で、八州役人、中山誠一郎の指揮する捕手たちに捕縛された。

その後、国定忠治は、自ら破った大戸の関所ではりつけとなり、西野目宇右衛門は、江戸小塚原において、忠治をかくまった罪で打ち首となった。嘉永3年12月21日、国定忠治41歳、宇右衛門54歳の冬であった。

忠治茶屋は毎月21日(日・火・祝日は翌日)に忠治の没日を記念して特売をしている。

忠治茶屋公式HPより引用したものですが、忠治がお世話になっていた西野目宇右衛門のお家を解体した材料でお店が作られていたのですね。風情のあるお店な訳です。

外観・店内

 

今回は2人分の注文で4串をお願いしました。中にあんこがつまった焼きまんじゅうもあるのですが、我が家はノーマルの中身なしのやつが大好きなのです。店内は3テーブルほどしかありませんが、店内で食べることもできます。テイクアウトで持ちかえるお客さんのほうが多く、本日も大盛況で店員さんも忙しそうです。

実食

写真は上の2串分なのでタレがそんなにかかってないように見えますが、容器の下の部分に大量にタレがたまっていますので、そのタレをよくからめて食べましょう。相変わらずの美味しさで、地元でしか食べられないもので昔から食べていたのでノスタルジーを感じずにはいられません。

広告

評価

ハンバーグ、焼肉、ラーメンみたいにお腹が空いたときにがっつり食べたくなるものではなく、おやつ的な感覚で利用することが多いのですが、2~3カ月に1回は食べている気がします。いつ行ってもお客さんがいる人気の焼きまんじゅう屋さんです。群馬県に来る機会があったら是非立ち寄ってみてください。

 

広告